明るい部屋からこんにちは、しするです。
先週末くらいに、リビングの灯りが点かなくなりました。
台所に立っていて、ふっとリビングの方に目をやると
暗い。
知らない間にブレーカーでも落ちた?と思いましたが、エアコンは何事もなかったかのように稼働しています。
テレビもつきます。
灯りは点かない。
壁のスイッチめっちゃパチパチしてるのに点かない。
時は既に夜、電器屋も閉店するような時間です。
しかも夫が車で仕事に行っているので、そもそも足がありません。
仕方がないので、デスクスタンドでとりあえずの灯りを確保しました。
(結構照度高めのスタンドだったことが幸いしました)
週が明け、新しい蛍光管を入手して取り換えてみました。
灯りは点かない。
壁のスイッチ何度パチパチしても点かない。
これはあれか、
照明器具の寿命なのか
と思い至り、不動産会社へ連絡しました。
(今住んでいる賃貸住宅は、照明器具が設置されているタイプでした。
この場合、
蛍光管等の消耗品⇒借りて住んでいる人
取り付けられている照明器具⇒建物の持ち主(大家さん)または管理会社
という管理の振り分けになるので、勝手に何かするのはNGです)
すぐに電器屋さんから連絡があり、現場を確認していただいたうえで、照明器具を貸し出してもらいました。
(新しいものは大家さん確認後に設置される様子)
そんなこんなで今日、何日ぶりかで明るい部屋でブログを書いています。
『部屋が暗い』という状況は、思いの外メンタルを削いでいきます。
特に、ひとりでいる時はなおさらです。
気分転換に大好きなフィギュアスケートを観ても心は晴れません。
挙句の果てには食事を準備する気力を失いました。
(単に料理が好きではないからかもしれませんが)
しかも、私は決して『真っ暗な環境』で過ごしていたわけではないのです。
暗かったのはリビングだけで、あとは普通に明るかったんですよ。
電気が使えなかったわけでもなく、ただひとつの『部屋が暗い』だけだったのです。
おそらく、こどもがいたり、他に家族がいる時にはある程度平気なのだと思います。
『誰か』がいて、その人のために何かをしている時、人間は意外と平気に過ごせます。
『ひとり』で『暗い』環境があることで、人間の心は鬱々とする場合がある、ということです。
今はただでも心が荒む状況です。
自分でコントロールしきれない状況が、ストレスを増し加えます。
不安になる要素がたくさんあります。たくさん。
それでも、私たちは明るいものを見つけることができます。
昨日の志村さんの追悼番組然りです。(追悼なのに笑えて困りました)
明るいところで、楽しいことを見つけたら、ちょっとだけがんばれます。
今はちょっとのがんばりで十分です。
目に留めてくださった方に、感謝を込めて。