しするは今日も考える。 -Thistle Thinks GOOD Thoughts-

日常のおもしろいこと、経験から学んだことを考察中。あと時々趣味。

【介護】そもそも認知症の『認知』って何よ、という話について。

こんにちは、しするです。

 

先日からちょっと本腰入れて記録しようと思っているわけですが、

 

何から話すのがいいのかなーと考え…

 

 

まずは根本的なところから始めることにしました。

 

 《目次》

 

『認知』という言葉の意味

 

とりあえず、手持ちの電子辞書に尋ねてみました。(ちょっと型が古いものですが)

 

認知:事象について知ること、ないし知識をもつこと。広義には知覚を含めるが、狭義には感性に頼らずに推理・思考などに基づいて事象の高次の性質を知る課程。

(広辞苑第六版より)

 

難しい。

むしろわかりにくい。

 

認知:ある事柄をはっきりと認めること。

(明鏡国語辞典より)

 

こっちの方がわかりやすいですね。

 

しかし、これらの「意味」をふまえると、『認知症』との結びつきがかえってよくわからなくなります。

 

 

『認知機能』って?

 

ここで、『認知機能』という言葉について考えます。

 

厚生労働省では、『理解、判断、論理などの知的機能のこと』と定義しています。*1

 

私は学校に通って資格を取得したタイプの介護福祉士なのですが、養成講座から学んだことによると(ここからは私が理解している内容をまとめた表現です)

 

認知機能とは、情報を正しく理解・整理して、適切な動作へつなげる力です。

 

少し言い方を変える(そして極端にする)と、

 

自分のやりたいことを理解し、行う力です。

 

ちなみに、私は主に高齢者福祉の観点から学んでいるため、上記のような理解をしていますが、精神障碍者福祉や児童福祉の方から見ると、少し違った解釈になるかもしれません。

 

 

認知症における『認知』=『認知機能』

 

というわけで、単純に表現すると『認知症』の『認知』は、『認知機能』のことです。

 

 

そこについての問題が起きるので、そのまま生活の中で混乱が起きます。

しかも、自分では『何かおかしい』と思っても、『何おかしい』かわからない、あるいは伝えられないことで、周囲とすれ違ってしまいます

 

「何かおかしい」と感じられる方が非常に多いことも知っていただきたいです)

 

 言葉の表現による認識のゆがみ

 

介護にかかわる方の中でよく聞く言葉の中に、

「『認知』があるから」

「あの人『認知』進んだ」

みたいなのがあります。

f:id:Thistle37:20200525232353p:plain

 

私は個人的にこれにすごく違和感を感じていて、あまり好きではありません。

…いや、嫌いですね。表現としては。

既にある意味で定着してしまっている表現なので、使っている方自身が意識しない限りはきっとなくならないと思うんですよ。

「みんな言ってるから使ってる」

「そういった方が伝わる」

という方も少なからずいらっしゃることも知っています。

 

しかし、この『認知』という表現によって、

 

『自分とは違う病気のある人』というレッテルを貼ってしまうように感じるのです。

 

そんなつもりない方が多いと思いますよ。

便宜上使ってるだけなんだと思います。

 

でも、どうしても、人よりも病気を見ている気がしてしまうのです。

 

まとめ:『認知症』とは

 

私が理解している『認知症』は、

 

『自分のやりたいことを理解し、行うことが難しくなる病気』です。

 

この『やりたいこと』には、日常生活動作(ADL)*2も含まれます。

食事をする、着替える、お風呂に入る、トイレに行くといった、普段何気なくしている動作が難しくなるのです。

 

『認知症になった=できなくなる』ではない、ということを知っていただきたいと思っています。(進行すると『できない』という状況になることは否定できません)

 

そして、その人自身の個性が本当に色濃くなる病気だと感じています。

 

だから楽しいし、難しい。

 

 

 

あ、これシリーズ化しようと思ってるので、更新ペース落ちるかもしれないです。

結構頭使います(笑)

 

目に留めてくださった方に、感謝を込めて。

*1:厚生労働省e‐ヘルスネットより

*2:Activities of Daily Living:日常生活に必要な動作。医療や介護の分野で自立や回復状態の評価に用いられる