しするが気まぐれに書く介護のお話シリーズです。
不定期すぎてシリーズになるのか自信がなくなってきました。
今回は、認知症の症状の一つである『物忘れ』について考えていきたいと思います。
しするの思い出
私の父は、物凄く忘れっぽい人です。
用事を三つ頼むと
その一 ⇒ 忘れる
その二 ⇒ 半端に実行
その三 ⇒ とりあえず実行
みたいな感じでした。
新しい何かを入れると、前のものが心太(ところてん)みたいに押し出されるとかいう説もあります。(ものの例えですよ)
メモを取っても、そのメモ自体を適切に管理できない(置き忘れる、なくす、時々メモを取ったことも忘れる)ので、何か大切な用事があった時には、その場で母にメールをしていました。
↑ちなみに母は記憶力が飛びぬけていて、『外部メモリ』と呼ばれています。
ある夕方、父が難しい顔をしているところに母が声をかけたところ、
「よくわからないけど気分が晴れない」という主旨の話をしたそうです。
母には思い当たるところがあって、
「今朝近所の人に怒られてたでしょ?」と父に言うと、
父は「あ!それだ!」と思い出し、「それで今日一日気分が悪かったんだ…」と一人納得していました。
いわゆる『物忘れ』
これは一応、通常の物忘れの範囲です。
『怒られたことを忘れて気分だけ害しながら一日過ごす』という不思議な状況ではありますが、ヒントをもらって思い出すことができているので、とりあえずは通常の物忘れと言えます。多分。
気になる『物忘れ』
もし、ここで父が「そんなことあったっけ?」とか言い出したら、ちょっと心配な物忘れです。
認知症による物忘れでは、エピソードをまるごと忘れます。
エピソード、つまり『体験』が、自分の中から消えてしまうのです。
『忘れる』という困りごと
認知症のある方が不安定になる(医療や介護の世界では『不穏』とも呼ばれます)のは、この『体験が消える恐怖』も大きいと思っています。
自分の人生が欠けていくんですから。
さらに周囲の人には「さっきも同じことを聞かれた」「それはもう済んだ」などと言われれば、困惑するだけです。
その人にとってその体験は『ない』のですから。
『忘れた』というよりその人にとっては『なかった』ことを、納得するのは難しいです。
自分にとって『なかった』ことを認めてもらえないのなら、認めてくれない『相手がおかしい』と感じることは、ごく自然なことです。
『現実』は同じではない
私は認知症のある方と接するときに、
『私とこの人の現実は一致していないかもしれない』
という考え方をしていました。
そして、介護職員として
『この人の現実に合わせる』
という姿勢をとれるよう努力していました。
上手くできないこともたくさんありましたが、『相手の現実』が見えた時には、どう対処したらよいかわかることもたくさんありました。
身近な人の異変に気付くために
年齢を重ねると(時にはそんなに重ねなくても)物忘れが目立ってくるケースはあります。特に加齢による物忘れは、人生の中で避けようがないかもしれません。
もし身近に「最近忘れっぽい?」と気になる方がいらしたら、
どんな風に忘れておられるかをよく観察してみてください。
体験の一部(人やものの名前、食べたメニュー、行った場所の名前など)を忘れ、ヒントがあれば思い出せる方は、いわゆる『物忘れ』です。
体験そのもの(人と会った、食事をした、出かけた等)をすっぽり忘れておられる方は、認知症の兆候かもしれません。
↑体験をまるごと忘れてしまうケースは、脳血管疾患等でも見られます。表情や動作の異変も併せて観察することが大切です。
認知症の症状は他にもたくさんありますし、どんな症状が出るかは個人差がとても大きいので、その方をよく観察し、「あれ?」と思われることは記録されておくことをおすすめします。
受診される際、その情報がとても重要になります。
大切なのは、周囲の人がその方に関心を持っていることです。
周囲の関わり方で、認知症のある方、そして周囲の方々自身の生活が大きく変わってきます。
この記事が、どなたかのお役に立てば幸いです。