しするの認知症ケアについての覚書シリーズです。
先日の記事とも関連がありますので、ご覧いただけると幸いです。
上に置いた記事中で、『人より病気を見ている』という話をちらりと書いています。
これは認知症ケアに限らず、すべての病気と闘う人について言えることで、尚且つかなり繊細な問題だと考えています。
『病気』はある意味で『分かりやすい敵』で、向き合う相手としてとらえやすいものです。
そのために、病気にかかった『人』は『病気』の陰に隠れてしまうことがある、と感じています。
『人』には個性があり、個人の考えや経験があり、価値観があり、積み重ねてきた人生があります。
それは、『病気』を理由にないがしろにしていいものではありません。
時々、周囲の人が『気を遣って』行ったことが、その『人』を悲しませてしまうこともあるのです。
『認知症』ケアで起こりやすい『できない』と『させない』
認知症になると、周囲の人はどうしても『できない』ことに目が行くようになります。
『できない』ことは、生活に影響し、わかりやすいからです。
しかも、周囲の人にとっては生活の負担が増すような『困りごと』になる場合が多くあります。
例としては、トイレの失敗、迷子になる、鍋を焦がす、汚れ物を隠すなどが挙げられます。
『困りごと』になってしまうと、それを『させない』ようにするという対処がよくとられます。
上記に対しては、オムツをはかせる、家から出られないようにする、料理を禁止する、行動を見張るなどの対応が考えられます。
『させない』ことが、ひとつの『改善』につながるケースもあります。確かにあります。
でも、そこから新たな『困りごと』、そしてほかの『できない』に発展することの方が多いように思います。
その『人』の『できる』という思い
認知症当事者の中では、自分で『できる』と認識されていることが多くあります。
また、『できない』と感じつつあっても、それを認めるのが怖くて、できる素振りをされていることも多いです。
認知症の症状が進むと、
自分がそれまで特に意図せず行ってきた『普通のこと』が、できなくなる。
これはとても怖いことです。
自分で認めるのは怖いし、周囲に気付かれるのはもっと怖い。
怖いから誤魔化すし、取り繕う。
自然な感覚だと思います。
よくわからないけど『失敗』してしまうのであれば、なおさらです。
認知症であろうとなかろうと、人間は自分の『失敗』を周りに悟られまいとする傾向があります。
大抵の人間にとって『失敗』は怖いし、恥ずかしいからです。
認知症の症状によって、問題が起きた時、適切な対応を取ることはより難しくなります。
そんな状況の中で、当事者の方はその時に考え付く、その時の自分に『できる』最善の対応をしています。
それが周囲から見ると『困りごと』になっていたとしても、必死に考えて行動した結果なのです。
本当に、『できない』?
ここで気を付けていただきたいのが、その『人』は実際のところ何ができなくなっているのかを把握できているのか、ということです。
一例として、
トイレで失敗する(困りごと)
⇒トイレで排泄できない(行動全体が不可能)
と結論付けるのではなく、
トイレで失敗する(困りごと)
⇒トイレで排泄するための何かができない(行動の一部が不可能)
という観点が必要になってきます。
(これは具体的に話すとめっちゃ長くなるので、別記事にする予定です)
認知症ケアの場合はこのようなケースが多いですが、『できない』から『できる』への移行のわかりやすい例として、こんなケースがあります。
病気の後遺症で片手に麻痺が残った(身体上の問題)
⇒包丁が使えない(困りごと)
⇒料理ができない(行動が不可能)
といった状態であっても、適切なリハビリを受け、訓練をし、環境を整えることで解決につながることもたくさんあります。
病気の後遺症で片手に麻痺が残った(身体上の問題)
⇒自助具*1を活用する(改善のための工夫)
⇒料理ができる(行動が可能になる)
というように、視点の変化や工夫によって、『困りごと』が改善したり、生活に変化が起きたりするのです。
『できない』という事実だけに目を向けてしまうと、この『できる』可能性を見落としてしまうことがあります。
『人』を見て、寄り添う
『できない』と思っていた人が『できる』ことを発見するのは、とても楽しいです。
(今まで気づかなくてごめんなさい!って思うこともあります…)
「できない」「したくない」と言われていたことが、実は部分的な『できない』があったせいで難しくなっていた、ということもたくさんありました。
これもまた認知症に限らずなのですが、「裁縫なんてもうできない」と言われていた方が、実ははさみを使うのが難しくなっていて、そこを誰かが手伝えば素敵な作品を縫い上げられる、なんてことはよくありました。
料理や運動もそうで、『できる』ところを生かし、『できない』ところをフォローしていくと、こんなこともできるんだ!という発見がいっぱいです。
ただ、日常生活の中で『困りごと』が起きている時に、相手の『できる』『できない』を細かく観察していくのは、とても難しいと思います。
一日中張り付いているわけにいかないですしね。
それでも、『何ができないのか』がわかると、『どうすればいいか』を考えやすくなります。
そして、周囲の環境を整えたり、接し方をコントロールすることで、『困りごと』が改善することもあります。
新しく『できる』ことが見つかることもあります。
認知症の方は、いつも不安な気持ちを抱えておられます。
特に軽度~中等度の方は、具体的には覚えておられないかもしれないですが、自分が何か『失敗』していると感じながら過ごしておられることが多いです。
『困りごと』にはどうしても目がいきます。実際に生活に支障が出るからです。
しかし、起きた『困りごと』だけを見ていると、その『人』に寄り添うのは難しくなります。
そして、『人』に寄り添えないままでいると、認知症の方はそれを敏感に感じ取ります。*2
人間は『できる』ことを認識することで、自分に自信を持つことができます。
それは心を穏やかにしたり、気持ちを前向きにする効果があります。
健康でも、認知症でも、何かの病気やその後遺症があっても、何かが『できる』時に、人は喜びを感じます。
『できない』が『できる』に変わるなら、それはもっと嬉しいことです。
↓イラストはこちらからいただいています↓